2017-01-01から1年間の記事一覧

087 平城宮東院の巨大井戸

平城宮東院は平城宮の東に張り出した地区で、その南半部の東西約250m、南北約350mの範囲を指す。皇太子の住居である東宮や天皇の宮殿があったことが、奈良時代の正史『続日本紀』に記される。また称徳天皇の「東院玉殿」や光仁天皇の「楊梅宮」は、こ…

086 第1次平城宮に似た恭仁宮の中枢部

木津川市加茂町瓶原の地にあった恭仁宮は、昭和48年(1973)から毎年、発掘調査が実施され、その姿が少しずつ明らかになっている。今年の調査では、大極殿院と朝堂院の境界を確定する手がかりが得られた。12月9日にあった現地説明会の報告である。 …

085 平城宮跡の銀杏

昭和20年代の平城宮跡、道は一条通り、西側方向に撮影、行く手の木立は銀杏、遠景に生駒山、『岩波写真文庫 奈良』より 広大な平城宮跡は自然に恵まれて春夏秋冬、植物や鳥たちの生態を楽しむことができる。晩秋のススキ、冬の山茶花、春の梅、桜などはその…

号外 「奈良をもっと楽しむ講座」

毎月第2金曜日10:00~11:55頃、中部公民館(奈良市上三条町)で奈良まほろばソムリエの会の主催で上記の講座を開催しています。会場費・資料代300円。申込は不要、当日会場にお越しください。問い合わせは090・3657・5445(前田)まで。 1…

084 初期ヤマト政権の宮都、纒向遺跡

纒向遺跡は大和の甘南備、三輪山の麓に東西約2km、南北約1.5kmの範囲に広がる。3世紀の初頭、それまでまったく集落のなかった場所に出現し4世紀前半まで存続した大型集落である。同時代の他の集落とは異なる特徴と大きな規模を持ち、都市ととらえる見…

083 超弩級七重塔が聳えた東大寺東塔院

北東から見る東塔基壇、27m四方、高さ1.7m以上。周囲には石が敷き詰められていた。2015/11/21の現地説明会 東塔院南門と回廊 東大寺東塔院跡の発掘調査現地説明会が10月7日に実施された。一昨年と昨年に続く3回目の説明会である。今回は、東塔院南…

082 興福院旧跡の記憶

奈良市北部の佐保丘陵の裾にある名刹、興福院(こんぷいん)は、一般にはあまり知られていないが、観光・史跡ガイドにはほぼ常連で掲載されている。予約すれば拝観できるというが、最近はなぜか断られることが多いという。実は私もまだ拝観していない。ガイ…

号外 まほろばソムリエの深イイ奈良講座「棚田嘉十郎と平城宮跡保存運動」

平成29年9月24日(日)14:00~15:30 「奈良歴史漫歩」筆者が講師の講座です。 以下、奈良まほろば館のホームページの転載です。 若干、付けたしました。 NPO法人奈良まほろばソムリエの会の講座です。奈良をテーマに歴史や最新のトピックまでいろいろな…

081 生駒は哀しい女町

「女町エレジー」で「生駒は哀しい女町」と歌われた奈良県生駒市は、今は大阪のベッドタウンとして人口急増著しく、ある雑誌の「住みよさランキング」の上位にも入った郊外の住宅都市である。聖天さんで親しまれる宝山寺が生駒のシンボルであることに変わり…

080 旧山田寺仏頭の数奇な運命

興福寺国宝館には天平と鎌倉時代の仏像が綺羅星のごとく鎮座するが、なかでも人気があるのはともに国宝の阿修羅像と旧山田寺仏頭だろう。私も例に漏れず一目でこの2体には魅了された口である。二つに共通するのは、いわゆる仏像らしくないということだ。阿…

079 薬師寺の西塔心礎移動説

奈良県橿原市の特別史跡、本(もと)薬師寺跡は晩夏の日差しを浴びて紫色の花の絨毯が広がる。周囲の休耕田に植えたホテイアオイの花が盛りを迎えているのだ。新たな名所づくりを試みた橿原市の狙いは当たり、多くの見学者が訪れる。 本薬師寺跡には金堂や東…

078 入江泰吉旧居見学記

写真家の入江泰吉の旧居が、今年の3月から公開されている。奈良市水門町の依水園に近く吉城川のほとりにある。旧居の前の道を北へ直進すると東大寺戒壇院につきあたる。奈良大和路の写真を撮り続けた写真家にふさわしい場所である。公開前の旧居を道から何…

077 天誅組の生き残り、北畠治房旧邸「布穀園」

奈良県斑鳩町の法隆寺近くにある和カフェ「布穀薗」を訪ねた。北畠治房の旧居にできたカフェであると知って、わざわざ出かけたのである。北畠治房といっても知っておられ方はまずおられないだろう。私も知ったのは偶然だった。奈良県の近代史、特に明治時代…

076 『奈良歴史漫歩』Kindle版発行

自著の『奈良歴史漫歩』を電子書籍にしました。「奈良歴史漫歩」は2001年から約8年間の間、メールマガジンとホームページを使って発表した史跡探訪エッセイです。舞台は奈良と周辺地域で古代史の話題が多いが、現代も扱います。読者は多いときで約70…

075 黄檗宗海龍山王龍寺

奈良市にある海龍山王龍寺は、元禄2年(1689)に大和郡山藩主の本多下野守忠平が、黄檗宗開祖隠元禅師の孫弟子、梅谷和尚を招いて菩提寺として開山、再興した古刹である。山門や本堂には禅寺らしいたたずまいがあって、奈良の古代寺院を見慣れた目には…