134 国家による国民意識の直接的な統合の企て

ーー安丸良夫『神々の明治維新神仏分離廃仏毀釈』(岩波新書)を読む

 本書は、明治初期に起きた神仏分離廃仏毀釈を時代の全体的な流れのなかに位置づけてその意味を問う。著者は、日本近世の民衆思想史を専門とする歴史家だ。
 江戸時代後期、すでに廃仏毀釈の動きは一部の藩で起きていた。水戸藩の寺院整理、長州藩の淫祀破却などである。これらの背景には水戸学や国学思想の勃興があった。内外迫る危機感のなかで天皇を中心とする国体論が唱えられ、外来思想としての仏教が排除される。水戸学や国学尊王攘夷運動に結びつき、討幕派のイデオロギー的支柱となる。
 幕府を倒し権力を手中にした薩長勢力は、その正当性を天皇という権威に求めた。王政復古を唱えて古代の神祇官太政官を復活させる。慶応4年(1868)3月14日、布告された五箇条の御誓文は新時代を告げる宣言となった。その3日後に神祇官は復飾命令を布告し、社僧と呼ばれる神社に詰める僧侶の還俗を命じた。3月28日には、神社にある仏像や仏具などの一掃を命じている。神仏分離政策は維新政府の発足と同時に実行されたのである。神祇官に就任したのは、復古神道派の国学者神道家であり、彼らは岩倉具視大久保利通木戸孝允につながることで主導権を得た。
 同年4月1日、神仏分離の布告がまだ伝達される前に比叡山日吉社で衝撃的な事件が起きた。日吉社の神官に率いられた一団が社殿に押し入り、仏像、仏具、経典を持ち出しては破壊、焼却したのである。これ以後吹き荒れる廃仏毀釈の発端である。領内の仏教寺院の破却・統合合併、神葬祭への変更などが新政府の命令だとして強行されたが、これは地方により濃淡がある。僻遠地で復古派の国学者神道家が存在し、これに土地の有力階層が加担したケースでは激しさを増した。しかし地域に深刻な亀裂を引き起こすことを懸念した政府は、明治3年12月に「地方官庁で廃寺・廃仏を一方的に決定してはならない」と布達し、廃仏毀釈の鎮静化に努めている。仏教各宗派は大なり小なり打撃を受けたが、そのなかで浄土真宗はもっとも抵抗し信仰を守ったという。
 新政府は幕府のキリスト教禁止政策を引き継ぎ(明治6年2月キリシタン禁制を停止)、九州浦上のいわゆる隠れキリシタンを弾圧したが、彼らの頑強な抵抗は政府首脳部に民衆の意識統合の強化策の必要性を痛感させた。それは神道の国教化への道を踏み出させるとともに既成仏教の意義を認識させることになった。明治4年9月、浄土真宗僧侶の島地黙雷教部省設立の建言書を提出する。キリスト教に対抗するため神仏合同の民衆強化体制を整えよというものだった。翌年に教部省が成立され、民衆教化にあたる教導職が神仏双方から任じられた。彼らは「敬神愛国」「天理人道」「皇上奉戴・朝旨尊守」の三条を教則とする教化活動に従事したが、10万人に上った教導職は、人数的にも能力的にも仏教側が神社側を圧倒した。教導職は間もなく廃止される。これ以後は、三条の教則に示されたような国家のイデオロギー的要請にたいして、各宗派がみずからの有効性を証明して見せるという自由競争がはじまる。
 神仏分離は、信仰対象が分離できないほど習合色の濃い宗派や尊格には壊滅的な作用をもたらした。そのひとつが修験道である。蔵王権現は神号にあらため、吉野の山下蔵王堂(金峯山寺)は金峯神社の口宮となり、蔵王権現像の前には幕を張り鏡をかけ幣束を立てた。(明治19年、寺院は復興した。)京都の祇園社牛頭天王を祀ったが、八坂神社と名前を変え祭神は素戔嗚尊となる。
 神仏分離政策は、神道の側にも大きな変容をもたらした。皇室で続いていた仏教的な行事はすべて廃止、歴代天皇の位牌は撤去される。宮中三殿での皇室祭祀が新たに創始された。伊勢神宮の内宮が皇室の祖先神として至高化され、記紀神話上の人物や国家・皇統に貢献した人物を祭神とする神社が創建される。全国の神社を整理統合し、官幣社・国弊社・府県社・郷社・村社と社格にもとづく秩序が編成される。土俗的な信仰が排除され、神社の祭神の多くが記紀神話に登場する神名に入れ替わる。多様な祭祀のなかから産土神祭祀が浮上して、皇祖神を頂点とする国家的な祭祀体系に組み込まれていく。それは前代の迷信や猥雑を否定する啓蒙的な近代化の一面も持った。
 神祇官が当初意図したような祭政一致とは異なったが、神道は国教となった。建前として神道は宗教でなく儀礼・習俗とされたが、実質的に宗教として機能し、それをイデオロギー的に補ったのが教育勅語であった。宗教の自由は認められたが、「国家は、各宗派の上に超然とたち、共通に仕えなければならない至高の原理と存在だけを指示し、それに仕える上でいかに有効・有益かは各宗派の自由競争に任された(209頁)」「国家による国民意識の直接的な統合の企てとしてはじまった政策と運動は、人々の『自由』を媒介とした統合へとバトンタッチされた(211頁)」のである。