2023-01-01から1年間の記事一覧

138 「大和路」という幻影

奈良盆地を車で走ると憂鬱になる。車窓に過ぎる風景が醜悪すぎるのである。 1960年代の高度経済成長の入り口にあったとき、無秩序な開発が進行することを懸念して、京都や奈良の歴史的風土の保存が問題になった。それは「古都保存法」や「明日香法」の成…

137 奈良県の誕生

旧奈良県庁舎 明治28年(1895)~昭和40年(1965) 明治維新を迎えた大和は、旧幕府の天領、約50ほどの旧旗本領、寺社の朱印地、10の藩の領地、国外の5つの藩の領地と多くの領主が入り乱れた状態だった。明治2年(1969)の版籍奉還、明治4年(1971)の廃藩置…

136 内山永久寺の消滅

内山永久寺の境内中心部 『大和名所図会』寛政3年(1791) 「西の日光」と呼ばれた巨大寺院 天理市布留町に鎮座する石上神宮の境内を抜けて、東海自然歩道(山の辺の道)を500mほど南へ向かうと国道25号線のバイパスにつきあたる。バイパスに交差するトン…

135 廃仏毀釈を選んだ興福寺 

猿沢池から見た興福寺五重塔、明治5年、横山松三郎撮影 文化庁文化遺産オンライン 明治維新の神仏分離と廃仏毀釈の事例としてつねに取り上げられるのが、興福寺に起きた出来事である。藤原氏の氏寺として創建され氏の繁栄と軌を一つにして千年以上にわたり隆…

134 国家による国民意識の直接的な統合の企て

ーー安丸良夫『神々の明治維新ー神仏分離と廃仏毀釈』(岩波新書)を読む 本書は、明治初期に起きた神仏分離と廃仏毀釈を時代の全体的な流れのなかに位置づけてその意味を問う。著者は、日本近世の民衆思想史を専門とする歴史家だ。 江戸時代後期、すでに廃…