2021-01-01から1年間の記事一覧
大和最大の祭と言われるおん祭は、保延2年(1136)に始まり、900年近い伝統をもつ。その通史について本格的に語られることはこれまでなかったが、2016年に『祭礼で読み解く歴史と社会~春日若宮おん祭の九〇〇年~』が刊行され、始めておん祭の…
Ⅰ NHKBS1スペシャル「全貌2.26事件~最高機密文書で迫る~」(再放送2021年3月12日)を見て、興奮するほど驚いた。2.26事件の経過を海軍軍令部が逐一記録していたという。そして長らく秘匿されたその分厚い文書の綴り6冊が「発見」されたのである…
奈良市西ノ京の薬師寺本尊薬師如来坐像はブロンズ像として世界の最高峰という位置づけが定着している。写実に基づく美の完成された姿として評価する言葉は枚挙にいとまがない。和辻哲郎は『古寺巡礼』のなかで「あの豊麗な体躯は、蒼空のごとく清らかに深い…
復興された薬師寺西塔 天武天皇が鸕野讃良(うののさらら)皇后の病平癒を祈願し創建した薬師寺は、天武亡きあと持統天皇と文武天皇に引きつがれ、藤原京の地に698年にほぼ完成をみた。平城京遷都とともに薬師寺もその右京六条二坊に移され、南都七大寺の…
2009年7月から本格的な解体修理を行ってきた薬師寺東塔は修理を終え、今年の3月からその一新した華麗な姿をふたたび参観者の前に現した。コロナ禍のため正式な落慶法要は延期されているが、初層内部を基壇から拝観でき、また地上に降ろされた創建期の…
修理された天守台。左が北面、右が西面 近世城郭で何より目立つのは石垣である。膨大な数の石を積み上げて構築した石垣は二つとして同じものはなく、視覚的な圧倒感と審美感に訴えかける。そして石という自然の素材は、土や木と同じような人への親和感がある…
郡山城天守台、画面左端は柳沢神社 奈良県大和郡山市の郡山城の天守台が整備され、その上に展望施設が設けられたのは、2017年の春からであった。天守台石垣が崩落のおそれがありその修理とともに周辺が整備されて、市民に開放されたのである。この事業の…
~食堂・サンルーム・子ども部屋など~ 志賀直哉旧居平面図(『志賀直哉旧居の復元」から転載) 志賀直哉旧居の南棟プライベート空間を見ていく。 玄関から廊下を南へ向かうと右手にまず四畳半の書庫がある。現在ここには、直哉の初版本や関係パネルが展示し…
~書斎・茶室・客間など~ 志賀直哉が奈良市幸町の借家から高畑町の住居に移ったのは、昭和4年(1929)4月のことである。生涯で23回転居を繰り返した直哉は、46歳から55歳までの比較的長期の9年間をここで過ごした。幼い6人の子どもを育て、社交、…
奈良学園による旧志賀直哉邸買収を報道する新聞記事 奈良市高畑町に所在する志賀直哉旧居は、所有する奈良学園のセミナーハウスとして利用されるとともに一般公開され、志賀直哉とここに集った文化人の足跡をつたえる。また奈良公園に隣あった高畑の文化風土…
大和郡山市は毎年、「女王卑弥呼」を公募・選出し、観光PR活動に一役買ってもらっている。市の観光協会のホームページには次のようなコメントが載る。 「大阪教育大学名誉教授だった故鳥越憲三郎氏が著書『大いなる邪馬台国』の中で、邪馬台国は大和郡山市…