085 平城宮跡の銀杏

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昭和20年代平城宮跡、道は一条通り、西側方向に撮影、行く手の木立は銀杏、遠景に生駒山、『岩波写真文庫 奈良』より

 

 広大な平城宮跡は自然に恵まれて春夏秋冬、植物や鳥たちの生態を楽しむことができる。晩秋のススキ、冬の山茶花、春の梅、桜などはその名所として知られる。名所となるほど多くはないが、銀杏もつい前まで鮮やかな黄葉を見せていた。遺構展示館の東側にある駐車場の一角には10本ほどの太い銀杏がかたまって茂る。一条通りを東側から宮跡を走り抜けると、遠くからでもその鮮やかな真っ黄色い塊は目を惹く。私が確認した限りでは、銀杏の黄葉を他に2カ所、認めることができた。朱雀門の東側の復元築地塀がとぎれるあたりにある数本、復元された第1次大極殿のすぐ東、一条通り沿いに2本である。宮跡には多種多彩な樹木が植わっているから、これらの銀杏もその一つとして紅葉を愛でる以外はとくに意識することもなくきた。

 平城宮跡保存史に興味を持って、大正15年に内務省から発行された『平城宮阯調査報告』を読んでいたとき、次のような一文に出会った。

 (史蹟)指定地域の四周には公孫樹の植え込みを造り(土地は買収)四隅には八寸角地上六尺の花崗岩の標識と注意札とを建て……

 大正11年10月、史蹟名勝天然紀念物保存法により宮跡の一部、約47ヘクタールが史蹟指定された。12年に保存工事が始まり、史蹟指定地域の四周に公孫樹を植えたという。添えられた地図を見ると、指定地域は東西約600メートル、南北約800メートルのほぼ長方形状の範囲であり、その四周に銀杏林のマークが約200メートル毎に付いている。四隅とその間に合計14カ所である。その位置を見ると、北東の隅が遺構展示館東側の駐車場にあたる。朱雀門と第1次大極殿近くの銀杏も地図のマークと重なる。銀杏は指定地域を明示するため、大正12年に植えられたことがわかった。

 〈銀杏林〉とあるから、ある程度の本数だろう。遺構展示館東の銀杏は10本を数えたから、それぞれの箇所に10本ぐらい植樹されたと思える。3カ所しか残らなかったのは、周囲が田んぼだから銀杏が生長するにつれ日陰ができて邪魔になったせいだろうか。北東角の銀杏だけ残りが良いのは、植樹の事情を知った地元の人たちの「残そう」という意思を感じる。

 銀杏植樹の事情がわかって、私の銀杏を見る目は変わった。宮跡の植木の中では一番古く、平城宮跡保存史のスタートを告げる記念すべき存在なのである。そう思うと尊敬の念と愛おしさが湧いてくる。こうして晩秋の頃には黄葉した銀杏を一度は眺めるために、宮跡を尋ねることになった。 

 入江泰吉の宮跡の写真には、銀杏の木立がよく登場する。昭和20、30年代の宮跡は草原と田んぼが見渡す限り広がっていて、変化の乏しい駄々広い風景は絵にはなりにくかったに違いない。その中で銀杏木立は絶好のアクセントになったのだろう。遠景にあるいは近景に配して画面効果を計算し尽した撮影である。銀杏の幹が今より細くて低いところに歳月を感じる。

 他にも昭和20,30年代の銀杏が写った宮跡のモノクロ写真をいくつか写真集やネットで見かけた。この時代の幼い記憶を持つ私には、風景も風俗も郷愁を誘って見飽きることがない。

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赤線で囲んだ範囲が大正11年の史蹟指定区域、黄色丸が銀杏を植樹した位置、範囲と位置は多少の誤差があります。

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タイトル下の写真とほぼ同じ位置から撮った現在の風景。

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遺構展示館東側の銀杏、道は一条通り、東方向に撮影

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朱雀門東側の銀杏、西方向に撮影

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第1次大極殿東側の銀杏、道は一条通り、西方向に撮影

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入江泰吉『昭和の奈良大和路』(光村推古書院)より、道は一条通り西方向に撮影、昭和31年

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入江泰吉撮影、道は一条通り東方向に撮影

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岡田庄三撮影、1959年、西方向に撮影

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福川美佐男撮影 1957年 道は一条通り東方向に撮影

参考 なぶんけんブログ「平城宮跡自然散策」