2019-01-01から1年間の記事一覧

105 東の野に立つのは、“けぶり”か?“かぎろひ”か?

かぎろひの丘万葉公園(奈良県宇陀市) 東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 巻1-48 柿本人麻呂が、軽皇子の遊猟に従駕して詠んだ歌の一つとして有名な歌である。夜明けの太陽が現れる直前、光が射し、振り返れば、月は西空…

104 万葉挽歌の大和――堀辰雄著『大和路・信濃路』

堀辰雄が月刊誌『婦人公論』に「大和路・信濃路」を連載したのは1943(昭和18)年であった。戦後、新潮文庫と角川文庫に『大和路・信濃路』のタイトルで他の文章も加えて刊行された。両者は編集が異なり収載された文章や配置に異同がある。大和路を直接…

103 大和を舞台にした求道の書――亀井勝一郎著『大和古寺風物誌』

私がはじめて新潮文庫版『大和古寺風物誌』を読んだのはかれこれ半世紀ほど前である。著者は1966年に亡くなっていたが、有名であったし、この本が人気のあることはなんとなく知っていた。タイトルが牧歌的であるのにもひかれた。しかし甘美な詩情あふれ…

102 仏像鑑賞の近代的幕開け――和辻哲郎著『古寺巡礼』

和辻哲郎の『古寺巡礼』が刊行されたのは、1919(大正8)年であった。刊行100年を迎える書物は仏像鑑賞の古典として今も書店に並ぶ。 著者の和辻哲郎(1889~1960)は兵庫県生まれ、倫理学者、夏目漱石門下で東洋大・京大・東大教授を務めた…

101 風雅と酔い泣きの歌人・大伴旅人

――「長屋王の変」から読み解く旅人の世界ーー 大伴旅人は665年に生まれた。父は佐保大納言と呼ばれる安万侶、母は近江朝の大納言巨勢比等の娘、巨勢郎女(ごせいらつね)。和銅3年(710)正月の元明天皇の朝賀に際して、左将軍として騎兵・隼人・蝦夷…

号外「奈良の歩き方講座」開催!

NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」と公益社団法人「奈良市観光協会」がタイアップして開催する奈良を学び楽しむための講座です。 〈開催日時〉毎月第3日曜日13:30~15:00〈会場〉奈良市観光センター NARANICLE体験スペース(奈良市上三条町23-4)〈参加…

100 日本の元号③近代篇

一世一元の法制化 〈明治〉の元号は慶応4年(1968)9月8日に公布されました。改元詔書には「・・・慶応四年を改めて明治元年と為す。今より以後、旧制を革易して、一世一元、以て永式と為せ・・・」とあります。慶応4年の元旦に戻って明治元年にするという…

099 日本の元号②中世・近世篇

一元の使用期間が短くなる鎌倉時代 元号は権力の正統性を保証するシンボルとなります。源頼朝は、平家が擁立した安徳天皇の元号〈養和〉(1181)と〈寿永〉(1182)を認めず、〈治承〉(1177)を使い続けました。平家が西国に都落ちし後鳥羽天皇が即位される…

098 日本の元号①古代篇

元号の起源と伝播 元号はもともと年号と言いました。元号という言葉は比較的最近に使われるようになり、「元」は始まりという意味で「号」は名前を意味します。元号は、年の数え方(紀年法)として始まりと終わりがあります。西暦はキリスト生誕の年(実は生…

097 元号の凋落と西暦の標準化

平成から新元号へ改元が迫る。退位による代替わりのため昭和の終わりの時のような自粛ムードはなく、新元号についても堂々と話題にできる。巷では新元号の予想クイズが盛況だという。ほぼたしかに予想できるのは、頭がさ行、た行、は行、ま行の読みの元号は…

096 奈良から始まった作家・森敦の放浪

作家、森敦(1912-1989)が亡くなって今年で30年になる。『月山』で第70回芥川賞を受賞したのが昭和49年(1974)、敦が62歳の時である。それ以後、精力的な執筆活動のほかにテレビやラジオへの出演、対談や講演などにも活躍し、時代の…

095 日本最大の円墳、富雄丸山古墳

丸山古墳頂上からの眺望 富雄丸山古墳(奈良市丸山1丁目)の奈良市埋蔵文化財センターによる発掘調査の現地説明会が1月26日にあった。古墳のそばの公園で全体説明があり、そのあと古墳の頂まで上り下りして現地を見学した。筆者はこの古墳の近くに住んで…

094 春日信仰の二層構造

「東大寺山堺四至図」の「神地」 「東大寺山堺四至図」を見てまず誰もが注目するのは、画面ほぼ中央に四角に囲んだ枠内に「神地」と書き込まれた箇所である。「御嵩山」と記入する円錐型の山の西側ふもとに位置する。「神地」も「御嵩山」も東を上に西を下に…