番外 『奈良歴史漫歩Ⅱ』発行しました

和装本『奈良歴史漫歩Ⅱ』を発行しました。ブログ「奈良歴史漫歩」から7編を収録。元のテキストに補筆・修正を加えています。

目次

「今日降る雪のいやしけ吉事」――それからの家持
万葉集』に470首あまりの歌を残した大伴家持、その最後の歌は因幡守として赴任した翌年の正月に詠んだ賀歌であり、歌集の掉尾を飾った。この時、彼は42歳。68歳で死去するまでの波乱と苦悩に満ちた「歌なき」後半生をたどる。

風雅と酔い泣きの歌人大伴旅人
万葉集』に残る大伴旅人の歌は晩年の3年間に集中的に詠まれた。悲痛に満ちた歌がある一方で虚構に遊ぶ優雅な歌もある。そこには隠された動機があった。当時の政治的大事件「長屋王の変」から彼の歌を読み解く。

有馬皇子自傷歌の作者は誰か
万葉集』の挽歌の最初に載る有馬皇子の自傷歌は、弱冠18歳の皇子が自らの処刑を覚悟した辞世の歌として名高いが、他人による作という説もある。天武・持統朝成立の正当性と万葉集編纂の意図という視点から自傷歌他作説を検証する。

安康天皇陵の謎
安康天皇陵(菅原伏見西陵)に治定された現在地は、室町時代土豪の城跡であり、その存在は不明である。平城宮造営の際の陵墓の破壊と治定替を経て、近隣の垂仁天皇陵と入れ替わり、もとの安康天皇陵は「蒸発」した可能性がある。

春日若宮の誕生とおん祭の創始
春日若宮の保延元年(1135)、現在地への遷宮鎮座は、興福寺の「祭政一致」による大和一国支配の完成であった。同年に創始されたおん祭は興福寺が主催して、大和一遍の地侍を結集させる意味を持った。

奈良県の再設置運動
明治維新廃藩置県により大和は奈良県に生まれ変わった。しかし間もなく奈良県は堺県に併合され、さらに大阪府に吸収合併される。新設された大阪府会で少数派の大和は不利な立場に置かれたため、奈良県再設置運動がおこるが、その歩みは苦難続きだった。

棚田嘉十郎はなぜ宮跡保存の功労者になれたのか
棚田嘉十郎が宮跡保存運動に一身をなげうった動機は何か?社会的地位や資産もない彼の運動が目標達成につながったのは何故か?そして保存の完遂を見ずに自決した理由は?通説とは異なる棚田の保存運動を史料から明らかにします。

後記――「大和路」という幻影

 

和装本A4判 94頁
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