2020-01-01から1年間の記事一覧

120 八一の唐招提寺の歌と子規の法隆寺の句

唐招提寺金堂(写真は、「山/蝶/寺社めぐり」から転載) 会津八一の唐招提寺金堂を読んだ歌は、『南京新唱』の中でもよく知られて人気がある。 唐招提寺にて おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ 吉野秀雄は『鹿鳴集歌解』…

119 歴史のなかで揺らぐ天皇陵

初代神武天皇畝傍山東北陵(奈良県橿原市大久保町) 高木博志・山田邦和編『歴史のなかの天皇陵』(思文閣出版 2010年)は古代から現代までの天皇陵の実態や制度について複数の研究者による報告と討議をおさめる。本書を読むと、時代によって変遷してきた天…

118 安康天皇陵は何時から行方不明になったのか

宝来山古墳 安康天皇陵は中世の山城跡 第二十代安康天皇陵は菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ=奈良県奈良市宝来4丁目)と称され、現在地に治定(じじょう)されたのは明治になってからである。第二阪奈道路の宝来ICの脇に位置するが、ここは…

号外 「奈良をもっと楽しむ講座」11月13日(金)開催

テーマ「 棚田嘉十郎はなぜ宮跡保存の功労者になれたのか 」 ~当時の資料から読み解く明治・大正の平城宮跡保存運動~ 社会的地位や財産もない植木職人の棚田嘉十郎が、なぜ平城宮跡保存のキーマンになれたので しょうか。それは時代背景と密接に関わってい…

番外 朱雀大路延長500mの完全復元を!

更地になった積水化学工場跡。三条通りから朱雀門まで見通せる。右側の民家は朱雀大路跡の東部分を占める。 奈良市三条大路にあった積水化学工場は、三条通りか大宮通りを利用して車で奈良市街に出ることの多い私には、もの心ついて以来目に焼き付いた風景だ…

117 新薬師寺・香薬師像の三度の盗難と戻ってきた右手

盗難前の香薬師像。明治21年、小川一真撮影 白鳳仏の傑作 奈良市高畑町に所在する新薬師寺は、光明皇后が聖武天皇の病平癒を願って創建した古刹である。七体の薬師如来像を安置した金堂を中心に七堂伽藍整う巨大な寺院であったが、相次ぐ被災を経て創建時の…

116 「たまきはる命は知らず」――安積親王の死

安積親王陵墓(京都府相楽郡和束町) 遷都さなかに急死した親王 天平16年(744)閏正月1日、恭仁宮の朝堂に百官を集め異例の諮問があった。「恭仁京と難波京のどちらを都にすべきか」と意見を募ったのである。恭仁京と答えたのは、五位以上の者24人…

115 「いやしけ吉事」――それからの大伴家持

陸奥国多賀城跡 家持終焉の地 『万葉集』は、大伴家持の次の歌をもって最後を締めくくる。 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 ⑳4516 (大意)新しい年が始まる初春のおめでたい今日、さらにめでたくも雪が降っている。たくさんの良きことがあ…

114 ⑤写真家・入江泰吉の生涯

画家を志望した少年時代 入江泰吉が生まれたのは明治38年(1905)、生家は奈良市片原町にあった。片原町の町名は現在存在しないが、高畑町の大乗院庭園文化館が建つあたりである。自伝の中で、「前に川があった」「裏の大乗院の池で鯉を獲った」ことが…

113 ④入江泰吉の永遠の「大和路」カラー鑑賞篇

入江泰吉は、風景写真を志す若者へのアドバイスとして次のようなことを書いた。「風景写真は、単にそこにある風景を写せばよいというものではない。映像の中に、情感や、いうにいえない気配が写っていなくては、人の心に感動を呼ぶものにはならないと思う。し…

112 ③入江泰吉の永遠の「大和路」カラー篇

東大寺塔頭跡『古色大和路』より 入江泰吉が「大和路」の写真家として評価を確立した三部作『古色大和路』、『萬葉大和路』、『花大和路』は、1970年から76年にかけて上梓された。高名な作家、評論家、俳人、歌人、随筆家、学者がエッセイを寄せ、詳細な解説…

111 ②入江泰吉の郷愁の「大和路」モノクロ鑑賞篇

司馬遼太郎は、『街道をゆく』の中の「竹内街道」で次のように書き記している。「言霊ということばはわれわれにとってなるほどいまも妖しく、『大和は国のまほろば』などと仮にでもつぶやけば、私の脳裏にこの盆地の霞がかった色調景色が三景ばかり浮かびあ…

110 ①入江泰吉の郷愁の「大和路」モノクロ篇

勝間田池の堤防から薬師寺東塔を望む 昭和30年代前半『昭和の奈良大和路』から 入江泰吉(1905~1992年)の最初の写真集『大和路』(東京創元社)が出版されたのは、1958年(昭和33年)であった。その前年、文芸批評家の小林秀雄が、東京創元社の社長、小林…

号外 検察庁法改正案に反対する松尾邦弘・元検事総長ら検察OBの意見書

https://digital.asahi.com/articles/ASN5H4RTHN5HUTIL027.html?iref=comtop_8_01 検察庁法改正に反対する松尾邦弘・元検事総長(77)ら検察OBが15日、法務省に意見書を提出した。ここには、改正法案の問題点が詳細に述べられている。そして司法の三権分立の…

号外 三権分立を破壊する検察庁法改正案の「特例規定」

「奈良歴史漫歩」は過去の歴史のロマンを語ることをモットーとしているので、少し違和感があると思いますが、現在の時事問題についても取り上げていきたいと思います。「歴史とは現在と過去の対話である」とは、英国の歴史家、E.H.カーの名言です。歴史への…

109 天平の天然痘大流行

「呪符」木簡(『平城京と木簡の世紀』より) 新型コロナウイルスによるパンデミックは大方の日本人にとって未知の体験です。しかしこれまでの内外の歴史を見ると、人類は感染症とともに生きてきました。感染症の原因が究明され、有効な治療・予防法が生み出…

108 棚田嘉十郎はなぜ宮跡保存の功労者になれたのか(後編)

~明治・大正期の平城宮跡保存運動の深層~ 第3章 「奈良大極殿址保存会」 1911年(明治44)~1922年(大正12) 奠都祭の翌年に棚田は上京して司法大臣、岡部長職子爵と面会します。「宮跡の保存策が示されなければ奈良へ帰らない」と強く迫ります。岡部子…

107 棚田嘉十郎はなぜ宮跡保存の功労者になれたのか。(前編)

~明治・大正期平城宮跡保存運動の深層~ 平城宮跡朱雀門前の棚田嘉十郎像 序章 「文化財保存」の先覚者 平城宮跡は、1300年前の奈良時代の宮の姿が地下に眠っています。国の特別史跡になり世界遺産にもなっています。宮の正門である朱雀門の前には棚田嘉…

106 有馬皇子自傷歌の作者は誰か

有馬皇子自傷歌は自作か他人の作か? 万葉集の挽歌の部立で最初に来る歌は、有馬皇子の自傷歌である。謀反を企てた罪で、紀伊の牟婁(むろ)の湯(白浜温泉)に滞在していた斉明天皇と中大兄皇子のもとに護送される。その途中の岩代で詠まれた歌だ。 有馬皇…