126 郡山城天守台の石垣

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修理された天守台。左が北面、右が西面
 

 近世城郭で何より目立つのは石垣である。膨大な数の石を積み上げて構築した石垣は二つとして同じものはなく、視覚的な圧倒感と審美感に訴えかける。そして石という自然の素材は、土や木と同じような人への親和感がある。

 石垣を見ると、機械などない時代にどうやってこれらの重い石を収集運搬し、どのように築造したのかと想像せずにはいられない。郡山城天守台の整備事業は天守台石垣の修理を主目的にした。その報告は、この疑問の一端に答えてくれる。

     石垣の孕みの原因を探る

 天守台北面の石垣には顕著な孕(はら)みがあった。孕みとは、石が押し出されて突きだす現象である。石垣が崩れる前兆であり、最大50cmも突きだしていた。解決策は、解体して新たに積み直すしかなく、2015年9月から翌年1月まで解体修理工事が行われた。

 解体されたのは北西隅部と南面の一部、約106㎡、天守台石垣の全体の約13%、約290個の築石である。石垣は表面に積み上げられた石を築石または平石と呼ぶ。築石と背後の盛り土との間に裏込め石と称する小さな栗石(くりいし)が厚い層をつくる。これは排水を良くし、また揺れを吸収するなど緩衝効果をもたらす。裏込め石には転用石が多量に見つかるとともに、川石が利用されたせいか円い小石が目立つのが郡山城の特長だという。しかし裏込め石としては角張った石が噛みあって良いらしい。

 郡山城天守台は自然石(野面石)を細工せず「乱積み」にする。目地に一見規則性がなく、築石間の隙間は広い。石を荒削りに細工して積む「打ち込みハギ」、精緻に細工して隙間なく積む「切り込みハギ」より以前の近世城郭が誕生した時期の積み方である。

 築石の積み方は、上の石の荷重が下の石一個にかからないように分散させることが原則だ。石の破損や変形を避けるためである。これに反する「団子積み」が当該範囲にいくつも見られた。実際、割れたりヒビが入ったりした築石が多かった。

 築石の表面に対して奥行き(控え)が長いほど石は安定する。しかし孕んだ箇所の石は控えが非常に短かった。しかも築石の周囲に配置して支える介石(飼石)のないものが多かった。なかには逆石といって築石のお尻部分が跳ね上がった形状のまま据えられたものもあった。これらは石が前のめりになる原因となる。

 築石の隙間には間詰め石が充填される。しかし郡山城天守台の間詰め石はほとんど抜け落ちていたという。築石が動いて押し出されたのだろうか。これは石垣の不安定要因をさらに強める。

 ところで築石に使用された石の種類は、花崗岩安山岩が中心である。『多門院日記』には、水谷川から石を運んだことが記されている。カナンボ石と言われる御笠山の安山岩である。花崗岩天理市奈良市の境の南椿尾、大和郡山の矢田から運ばれたようだ。

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修理前の天守台北面、赤丸印は団子積みの石、間詰め石が抜け落ちて隙間が見える

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逆石、石の尻が上向きになる

     修復を受けてなかった石垣

 石垣の角は石垣の要であり、ひときわ大きな角石を長辺と短辺を交互にして積む算木積みである。これにより角の稜線が通る。上から4番目と5番目の角石は、もとは一つの石を中央で切断し二つにしたものであった。矢穴の残った切断面がピタリと重なった。

 算木積みの「完成度」が、近世城郭の編年基準の一つの指標になっている。北垣聰一郞氏は本丸石垣は増田長盛が城主の時期(1595~1600年)という説を唱える(『石垣普請』)。堀口健弐氏は天守台は慶長2~3年(1597~98)に比定できる順天(スンチョン)倭城(韓国全羅南道順天市)がイメージ的に近いとする(「大和郡山城の石垣」)。郡山城天守閣は豊臣系城主によって建てられたことが確定している。また解体修復工事により、少なくとも当該部分の修復の跡はなく、天守閣が建造された時の石垣のままであることが判明した。近世城郭史に貴重なデータが加わった。

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石垣を解体した天守台。赤丸で囲ったところは、裏込め石と盛り土の境がジグザグになる。築石→裏込め石→盛り土→築石→裏込め石→盛り土の順序で積み上げていったことがわかる。盛り土が層をなしている

     文化財として石垣を保存

 郡山城天守台の孕みは、石の形や積み方の弱点が重なったことが原因である。修理は従って弱点を取り除く形で行えば良いわけであるが、歴史的な文化財としての城郭は築城時のままに保存することが大原則である。割れた石は接着剤やボルトでつなぎ、どうしても使えないものは新たな花崗岩を元の石の形に整形して差し替えた。団子積みや逆石はそのままにして介石や間詰め石で補強した。解体工事した範囲外の天守台石垣も間詰め石と接着剤を補充して強化している。

 大和郡山市教育委員会が公開したyou tubeの動画では、解体修理の一部始終が見られる。現代の機械・道具や技術を駆使しながらも、一つ一つの石を手作業で積み上げていく伝統的な工法は変わらない。しかしクレーンなどのなかった時代、何トンもの石を少し動かすだけでもどれほどの労力を要しただろう。あらためて感慨がわいてくる。

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石垣概念図(文化庁『石垣整備のてびき』)

参考
北垣聰一郞『石垣普請』法政大学出版局
堀口健弐「大和郡山城の石垣」(城郭懇話会『大和郡山城』)
帝塚山大学考古学研究所・附属博物館『きらめく瓦かがやく城 : 金箔瓦と豊臣郡山城 シンポジウム報告書』
大和郡山教育委員会郡山城天守台 石垣解体新書』
郡山城天守台展望施設整備事業 紹介動画

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