095 日本最大の円墳、富雄丸山古墳

富雄丸山古墳頂上
丸山古墳頂上からの眺望

 富雄丸山古墳(奈良市丸山1丁目)の奈良市埋蔵文化財センターによる発掘調査の現地説明会が1月26日にあった。古墳のそばの公園で全体説明があり、そのあと古墳の頂まで上り下りして現地を見学した。筆者はこの古墳の近くに住んでいるが、普段はフェンスがめぐらされ雑木で覆われた小山という印象である。今回、古墳の敷地に入ってその大きさと形を実際に知り、その頂から眺望するという貴重な体験ができた。

 富雄丸山古墳は1972年、周囲が住宅開発されるときに県教育委員会によって調査された。4世紀後半に築造された円墳で直径86m、三段に掘りくぼめられた粘土槨に木棺が埋葬されたこと、円筒、蓋、家形埴輪等があったことがわかっている。京都国立博物館に所蔵される丸山古墳の副葬品には、刀子、斧、ノミ、ヤリガンナなどの石製模造品、鍬形石、碧玉製合子があり、重文に指定される。また丸山古墳出土とされる舶載三角縁神獣鏡天理大学参考館に3面、地元の弥勒寺に1面保管される。

 築造時期の4世紀後半は、大型古墳群の場所が奈良盆地南東部から北部へ移った時期である。佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群の五社神古墳(神功皇后陵)や宝来山古墳(垂仁天皇陵)なども同じころに築かれ、丸山古墳はこれら大王級の古墳と近い距離にある。

 一昨年の空からのレーザー測量により、丸山古墳の直径が110mあることが新たに判明した。この数値は円墳として国内最大であり俄然注目されるようになったのである。

 昨年12月から再発掘調査が始まった。4つの発掘調査区が設けられ、古墳の規模と形状、副葬品が調べられた。古墳の裾と見られる地点が確認され、これから直径109mと復元された。なお調査は5年計画で進められるためにこの数値はまだ確定したものではない。

丸山古墳葺石
葺石

 古墳は地山の尾根を利用して三段に整形し盛り土してある。斜面の敷石は多くが崩れていたが、近くの富雄川の小石であり、他の古墳の敷石に比較するとかなり小さいらしい。一段目の平坦部の幅は約7.2m、二段目が約8.8mと、この大きさは大王級の古墳に匹敵するという。平坦部の中央からは円筒埴輪の欠けた基底部が出土した。被葬者を囲い込むように約20cm間隔で並んでいた。

富雄丸山古墳円筒埴輪
2段目平坦部の円筒埴輪

 東北部に造り出しがあった。現説資料の地図から計ると縦幅約15m、横幅約43mほどの大きさである。いわゆるホタテ貝型古墳とするには方形部が小さすぎる。円墳にしてこのような造り出しを持つものが他にあるのだろうか(追記参照)。前方後円墳の造り出しは祭祀を行った場所とされるが、この造り出しも同じ使われ方をしたのだろうか。造り出しの西側は二段となり、平坦部は幅約3.8mあった。その中央から円筒埴輪列が検出された。埴輪の間隔は約10cmである。

富雄丸山古墳造り出し
造り出しの基底石

 墳頂部の墓壙も表面が調査され、その輪郭の位置情報が確認された。今回の発掘調査では一般参加の体験学習が実施され、墳頂部の調査に延315名の市民が参加した。ここからは鍬形石、管玉、鉄器、埴輪の破片が検出されている。

 調査範囲の木は根元から刈られ草も払われている。土がむき出しになって、そのスケール感を体感できる。高さ15m、半径55mの円墳と言ってもピンとこないが、裾から見上げるといかに巨大であるかがわかる。さらにその山肌を一歩ずつ登ると親近感が湧いてくる。1600年前の人々の土木工事、山を削り均し土を盛りあげる、河原から石を運び敷きつめる、埴輪を作り並べるといった作業が目の前に浮かんでくるのだ。

 頂上からの景色は素晴らしかった。眼下北には富雄川をはさんで「道の駅」予定地の駐車場、イオンタウンの商業施設が広がる。西には第二阪奈道路の高架道が伸びる。遠景の丘陵には新興住宅地の住宅群。急速に変貌する故郷の風景である。高架道と重なるように暗(くらがり)越奈良街道が通っている。北大和と難波を結ぶ主要街道であり、古代から多くの往来があっただろう。丸山古墳は富雄川と奈良街道が交差する要衝に築かれた。この地域を支配した豪族と思われるが、古墳の規模と副葬品の豪華さから相当の勢力を誇った人物だったのだろう。

    富雄川河原の石を敷きつめて山肌覆う丸山古墳

    かたはらを第二阪奈の高架過ぐ街道沿いの古墳に立てば

    円墳の裾はこことや調査員指さす先にかすかな段差

富雄丸山古墳発掘調査区
丸山古墳発掘調査区

参考 現地説明会資料 奈良歴史漫歩No034「直径86m=最大規模の円墳、富雄丸山古墳」http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm037.html

追記 寝屋川市太秦古墳群(5世紀中葉~6世紀前半)にある太秦高塚古墳(直径37m)は造り出しを持つ。富雄丸山古墳とそっくりの形状で古墳北西部に付属する。