097 元号の凋落と西暦の標準化

 平成から新元号改元が迫る。退位による代替わりのため昭和の終わりの時のような自粛ムードはなく、新元号についても堂々と話題にできる。巷では新元号の予想クイズが盛況だという。ほぼたしかに予想できるのは、頭がさ行、た行、は行、ま行の読みの元号はないだろう。アルファベットのS(昭和),T(大正),H(平成),M(明治)との重なりを避けるためである。

 紀年法として日本では元号と西暦(グレゴリオ暦)が併用される。敗戦後、日本国の主権者が天皇から国民に替わったことから、権力者が時間と空間を支配するシンボルである元号への反発もあった。しかし、国民の多数が元号に愛着感を持つという事実を背景に、「元号法」が1979年(昭和54)に成立、元号に法律的な根拠が与えられるようになった。その頃の政府のアンケート調査では、国民の9割近い人々が西暦より元号を普段使用しているという数値が出たらしい。あの頃は元号使用派が圧倒的多数であったことは了解できる。昭和生まれが多数を占める中で、金魚が水槽の外に出られないように昭和という時間の中で私たちは呼吸していたのだ。

 あのアンケートを見て思うのは、時代は変わったなと言うことだ。読売新聞が1989年(平成元年)に行った調査では、〈元号を使いたい64% 西暦を使いたい28%〉という数値が出た。同じく2018年(平成30年)は、〈元号を使いたい50% 西暦を使いたい48%〉であった。今年の朝日新聞の調査では、〈新元号を使いたい40% 西暦を使いたい50%〉ということである。

 元号使用派vs西暦使用派の勢力地図は、この40年間で様替わりした。これは誰しも認める事実だろう。私自身の感想で言えば、元号使用派がまだ半数近くあることが意外でさえあった。たとえば、1995年の阪神大震災とオウム・サリン事件、2001年のアメリカ同時多発テロ事件、2011年の東日本大震災と覚えていても、これらが平成何年であったかは直ぐに浮かんでこない。年数を数えるのはもちろん、今年は何年と意識するのも西暦を使う。たまに役所の窓口で年月日を記入するときに平成という年号を意識するぐらいである。

 私が西暦派になったのはすでに昭和の終わりが見えてきたころからであるが、決定的になったのはやはり平成に替わってからである。社会も私自身の日常も昨日と今日変わりなく連続しているのに、年号が突然変わって年数がリセットされ元年から始まる。新しい年号を寿ぐような気持にはなれなかったし、一種の儀式として他人ごとのように感じた。1989年として迎えた年を1月8日から平成元年と意識変換することもなく、そのまま今日に至っていると言えばいいか。

 元号というのは時間に断絶を作る。始まりと終わりがあって、その前と後の時間とのかかわりを断つ。そのことにむしろ積極的な意味がある。気分を一新するのは悪いはずもないが、年数を数えるという用向きではまったく適さない。平成改元によって、それを身をもって体験したのである。

 平成元年が1989年であったことも都合が悪かった。昭和元年は1926年であったから西暦年との差を25として比較的変換が容易であった。さらにミレニアムをはさむことで面倒になった。逆に西暦は世紀末と新世紀を迎えるイベントで存在感を増した。

 元号の存在感の凋落は、元号最盛期であった昭和の後半から実はきざしていたように思う。昭和20年代、30年代という言葉はよく使われるが、40年代、50年代とはあまり聞かない。私は昭和27年の生まれであり、この時代を過ごしてきたのでよくわかる。昭和40年代というよりも1960年代、70年代という表現にリアリティがある。そして80年代、90年代、ゼロ年代と続く。

 高度経済成長以後、私たちの時代意識に根本的な変化が生じた。元号という日本だけで通用していた時間=空間意識は、地球上の世界にひろがったのである。日本にいても世界は情報としても物質的にも日常生活に入り込んでくるようになった。いわゆるグローバル化はこのころより始まっていた。世界との同時代性を意識せざるを得なくなったといえる。

 デジタル化の進行とともに、この流れは強まることはあっても逆戻りすることはないだろう。西暦が事実として標準となり、元号は今後役所の公文書の中で棲み続けるということになりそうだ。