124 志賀直哉旧居の見学②

  ~食堂・サンルーム・子ども部屋など~ 

f:id:awonitan:20210311171108j:plain
志賀直哉旧居平面図(『志賀直哉旧居の復元」から転載)

 志賀直哉旧居の南棟プライベート空間を見ていく。

 玄関から廊下を南へ向かうと右手にまず四畳半の書庫がある。現在ここには、直哉の初版本や関係パネルが展示してある。直哉は遺稿や遺品を展示することを遺言で禁じたため、旧居には他には当時の写真のパネルが展示してあるだけだが、邸宅の保存はなにものにも代えがたい人間直哉と彼の生きた時代を偲べる手がかりになる。もっとも直哉自身は住居の保存を望まなかったらしい。

 書庫のとなりが浴室、洗面所、脱衣室とならぶ。ここは「飛火野荘」時代に大改造されていた。解体して現れた柱や鴨居・敷居跡、昔の写真や証言、時代考証などを重ねて復元された。水回りの各室に平行して西側に通し土間があり倉庫も設けられた。

 台所も大きく改造されていた。北側に四畳半の女中部屋のあったことがわかり復元された。白タイルの大きな流し、都市ガスのコンロ、食堂との境に窓越しに料理を手渡せるハッチ、背丈以上もある作りつけの氷冷式冷蔵庫が広い空間に配置される。6人の子どもと毎日迎える客の胃袋を満たした台所である。

    「高畑サロン」の舞台となった食堂、サンルーム

 食堂とサンルームは、見学者にもっとも感銘を与える部屋だろう。食堂は二〇畳あってその広さに驚く。中央に置かれた縦長のテーブルと椅子が復元されている。天井は漆喰で中央に円枠球面のくぼみがあり、そこから行灯型障子張りの照明器具がつるされる。これは納戸で見つかった当時のものだ。作りつけの牛革張りのソファがあり、サンルームとの間には出窓とカウンターがこしらえられる。

 十五畳のサンルームは異彩を放っている。床は瓦敷、天井は網代あじろ)、ガラス張りの天窓があり光が入りこむ。復元されたテーブルと籐の肘かけ椅子が置かれる。隅には石造の井形に組んだ手洗いがある。夫人の部屋の縁側とは躙り口でつながる。台所ともつながり、裏庭からも出入りできる。

 食堂とサンルームは一体となり、洋風、和風、中華風のしつらえが融合する。家族と客がわけへだてなく食事し娯楽に興じる空間である。直哉はここで毎日毎晩のように友人、知人、客と語り合い、麻雀、将棋、花札などを楽しんだ。「高畑サロン」のまさに舞台であった。「奈良上高畑家の家にも世田谷新町の家にも客間はあったが、客が来ても其所に通さず、直ぐに自分のゐる居間兼食堂に通していた。その方が自分にも落ちつきがいいし、客の方も落ちつくらしい」と直哉は記している。

f:id:awonitan:20210311171226j:plain
20畳ある食堂

f:id:awonitan:20210311171352j:plain
瓦敷き、天窓のあるサンルーム

     南向きの広縁のある夫人部屋と子ども部屋

 夫人の部屋は六畳和室、数寄屋風のしつらえが随所にある。床の間の竹の縁、赤松の床柱、棚の天井は葦張りなど雰囲気が優しい。直哉は無宗教で仏壇や神棚は設けなかったが、夫人は押し入れのなかに小さな仏壇をまつっていたという。南向きで広縁があり、一部畳が敷かれる。広縁とサンルームは躙り戸でつながる。食堂のとなりであるが、廊下から出入りするので独立性と機能性が保たれていた。

 子ども勉強部屋は八畳、床はコルク張り、漆喰の壁は腰板があり、格天井である。活動的な子どもたちにふさわしい造りだ。南側の広縁は遊びのスペースでもある。ここから裏庭へ降りられた。部屋の北壁には格子付きの腰窓があり、高さ50センチの障子が入っていた。三畳の踏み込みとの境でその北側には直哉の居間があった。子どもたちだけの部屋を与えながら、家族の気配をたがいに感じられるような配慮である。

 長男の直吉の部屋と長女の留女子の部屋はそれぞれ四畳半、勉強部屋から出入りする。床は板張り、壁は漆喰で一部腰板があり、棚を作りつける。二つの部屋の境の壁には高窓があり障子が入る。部屋をへだてる壁にあえて窓を開け障子を入れる。隔てるとともに結びつけるような機能は、勉強部屋の腰窓にも見られた。直哉の人間観、教育観がうかがえるようで興味深い。

 子どもたちの寝室(八畳)と直哉の居間(六畳)は襖でとなりあっている。直哉は子どもたちの様子をそれとなく知ることができただろう。子ども部屋と寝室との動線は、三畳の踏み込みがあってそこを通れた。

 直哉の居間には雪見障子があり、中庭を眺めたり庭へ降りたりできた。中庭は四方を囲まれて、北は茶室、西は廊下のガラス窓、南は廊下の全面ガラス戸、直哉の居間から眺められる。東側は漆喰の塀がめぐり、躙り口から入ると待合がある。槇、南天、もみじ、青木、皐、馬酔木、椿、モチノキなどが植えられ、飛び石、庭石を残して苔が覆う。目の保養とともに採光と通気の用をなす。

 裏庭は広い空き地があって子どもたちの遊び場となった。小さなプールまで作られている。

f:id:awonitan:20210311171532j:plain
手前が直哉の居間、その向こうが踏み込みで子ども部屋との間に腰窓がつく、左側の部屋は子どもたちの寝室

     家づくりは「ほんとに必要なことだけを上手にやる」

 直哉は住宅観を披露している。「家の建て方は必要なことだけを上手にやってゐれば感心するけれど、この家は面白いとか面白くないとか云ふことは、必要さはそれほどでなくて、ただ遊びになる場合がよくある。折角面白く作っても、必然さのないものは、本統の意味の面白さがない。(中略)昔の農家や民家で今でも感心するのはやはり長い経験で、ほんとに必要なものが何か美しい形で遺ってゐるので感心させられるのだと思ふ。いろんな面白いこと、種々やってゐても、ほんとに必要だといふことが第一条件だ。」(「住宅について」)。

 旧居の規模・質は庶民の住宅のレベルを上回ることは確かだが、華美・贅沢という感じはしない。この住居からはなによりも直哉の生活観が伝わってきて、彼が「ほんとに必要としたもの」が理想的に実現されているように思う。書斎、茶室、客間などのハレの空間と夫人部屋、子ども部屋、直哉の居間などのケの空間は区分され、両者が混合し時に祝祭的な様相を出現させる空間として食堂とサンルームがあった。数寄屋造りを基調とした意匠は自然の要素を多く取り入れて、何気ない心地良さを生み出している。これは現代のライフスタイルからしても違和感のない機能性と審美性を兼ね備えた住まいである。

 平成21年(2009)の補修工事では、壁や天井のシミや破損が修復され、畳も新調された。改造された建具、家具は当時に近いものが復元され、蛍光灯を残らず白熱灯に入れ替えるほど徹底したものであった。旧居が建てられて90年、新たによみがえったとも言えるが、もちろん大部分がそのままであり、古寺がそうであるように歳月にみがかれた風格が醸されている。昭和の良き面影がここにはある。志賀直哉の数々の小説とともに、旧居はもうひとつの名作であることは間違いない。

f:id:awonitan:20210311171907j:plain
直哉居間から中庭を見る。向かいは茶室

参考
呉谷充利監修 山本規子編集・図面作成『志賀直哉旧居復元工事記録』奈良学園
呉谷充利編著『志賀直哉旧居の復元』奈良学園
ホームページ「奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居」

★日々のよしなしごとブログ「他生の縁・今生の縁