112 ③入江泰吉の永遠の「大和路」カラー篇

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東大寺塔頭跡『古色大和路』より

 入江泰吉が「大和路」の写真家として評価を確立した三部作『古色大和路』、『萬葉大和路』、『花大和路』は、1970年から76年にかけて上梓された。高名な作家、評論家、俳人歌人、随筆家、学者がエッセイを寄せ、詳細な解説も付く超豪華な大型の写真集である。入江は生涯で数え切れないほどの受賞、表彰歴を持つが、「古都奈良の社寺と自然を見事な写真芸術に仕上げた色彩美」を理由に三部作に与えられた菊池寛賞は、戦前の作品「文楽」に対する「新東亜紹介・世界移動写真展一等賞」と「文部大臣賞」とともに写真家人生に大きく影響した栄誉だった。

 特に『古色大和路』と『萬葉大和路』に収められた写真は入江の代表作となり、以後、あらゆるメディアで繰り返し紹介されて、「大和路」の決定的なイメージを作ることになった。

 これらの写真の特長を挙げると、まず人物が消えている。現代を感じさせる人工物が写らない。人物、自動車や舗装道路、ビル、現代風の民家、コンクリートの電柱……、現代の風俗が徹底的に排除されている。被写体の主役となるのは自然である。自然そのものではなく歴史と一体になった自然だ。風雪に耐えた古代の寺社仏閣はもちろん、朽ちかけた遺物が好んで取り上げられる。石垣のみ残った東大寺境内の塔頭、松林の中に礎石が整列する東大寺講堂跡、高畑の今にも崩れそうな土塀、落ち葉に埋まった頭塔の石仏、平城宮跡大極殿基壇の一本松。

 入江の写真を指して「滅びの美」とはよく言われる言葉である。人が作り上げたあらゆるものは長い歳月の中で滅び消えていく。そして自然に帰っていく。自然に帰ったもの、帰ろうとするもの、帰る予感にあるものは、自然の美で荘厳される。モノクロ写真でも「滅びの姿」は捉えられていたが、それは「自然との調和」に収まるものだった。現代が捨象され自然が色彩を持って表現されることで「滅びの美」が見いだされたのである。滅んでいくものはなぜ美しいのか。それは本来の姿に帰るからだ。現代の風俗はなぜ美しくないのか。それは突き詰めればもともと自然には存在しなかった素材で出来上がっているからだ。滅んでも自然に帰るには途方もない紆余曲折がある。自然を美しいと感じる感性は、生命の歴史に根ざしている。現代を享受しながら感性的な居心地の悪さから逃れられない我々に、入江の大和路の写真はオアシスのような存在となる。

 入江が本格的にカラーで撮影するようになったのは、1963年からであった。最初「絵のようにきれいなだけで情感がない」カラーに違和感を持った。自分が表現したいカラーを求めて、「色を殺し」渋くて深みのある「古色」に行き着いた。『大和路第二集』の巻頭に載る大和三山を遠望したカラー写真と『古色大和路』の写真を比較すれば相違は明らかである。筆者は写真の技術的なことにはまったく無知だから、この違いがどこから来るのかわからない。フィルムやカメラ、出版印刷技術の進歩はもちろんあるだろう。しかし写真は基本的に機械の反応なので、写真家の思い通りの色を出すことは難しい。写真家が風景写真で選べるのは構図とともにシャッターチャンスである。刻々と移り変わる気象条件や季節や時間の変化による光の状態を計算・判断して決定的な瞬間を捉える。風景は静止しているから何時でも撮影できるように思うが、そうではない。何日も通い同一場所に三脚を立てその度に何時間も待ちつつけ、風が吹いた瞬間や雲間から日が射した瞬間を狙う。この時、写真家の脳裏には意図したイメージがある。構図とともに色の効果も計算されているのだろう。

 現代の風俗を画面に混入させないため、入江はいろいろ工夫した。初期には、遠くから奈良盆地の広い風景を撮って現代の人工物が定かに写らないようにした。遠くから超望遠レンズで捉えて目標物の周辺を視野から外す方法もある。よく使われるのが、霧や霞で遠くの風景が隠れることである。これは余計なものが写らなくするとともに、画面に余情をもたらした。昼間の晴れた風景はあまりなく、朝か夕暮れか、煙霧がかかっているシーンが多用され、小雨や雪のシーンが加わる。「入江調」「入江節」とも呼ばれる湿度感の高い情緒ある風景だ。

 60年代はすさまじい勢いで景観の破壊が進行していたが、このような工夫をして、まだ辛うじて残っていた斑鳩、西ノ京、飛鳥の昔ながらの農村風景を撮影できたのは幸いだった。70年代に入ると、いよいよアングルは限られてくる。狭い限定されたアングルであっても色彩に中心をおいて意図した表現は可能だった。奈良の現実の風景が壊れていく中でも撮影が続行できたのは、色彩をもって滅びの美を表現するテーマのおかげだったといえる。しかし時とともに被写体は固定化していくのは否めなかった。

 入江の写真は平易で美しく、大和路の理想化されたイメージとして受け取られ易い。確かに出版物に載る写真からは表面の美しさの奥にある余情を十分味わうのは難しいかも知れない。私も写真が秘める複雑な情感を味得したのは、奈良市写真美術館でパネルにプリントされた大型の画面からだった。出版物の印刷では絶対表せない色彩の美しさに触れて、そこに湛えられた情感に浸った。一つ一つの作品に癒やされるようだった。

 現実の奈良大和は「滅びの美」も滅ぶ時代となって、ただただ荒廃があるのみだ。その中で、入江の大和路は一つの夢のようにも思える。いつ撮影されたかはどうでもよくなって、「滅びの美」を湛えたイメージが自立してそこにある。「歴史が自然に回収される」ことが「真理」であり、また「信仰」だとすると、そのイメージが永遠性を帯びるのも当然だろう。

 入江は万葉集に歌われた花への関心から花そのものを被写体として、晩年には精力的に撮影した。撮影できる景観の減少や体力の衰えも理由だろうが、美の原点に自然があった彼には必然的な成り行きだった。「ピントグラスのなかに花を生ける思いで撮る」と述懐している。カメラをとおした自然への帰依と言えば言い過ぎだろうか。

参考
『古色大和路』(保育社1970年)
『萬葉大和路』(保育社1974年)
『花大和路』(保育社1976年)
『古色大和路』(光村推古書院2012年)
『回顧入江泰吉の仕事』(光村推古書院2015年)
『大和路遍歴』(法蔵館1981年)
入江泰吉自伝 「大和路」に魅せられて』(佼成出版社1992年)