号外 三権分立を破壊する検察庁法改正案の「特例規定」

 「奈良歴史漫歩」は過去の歴史のロマンを語ることをモットーとしているので、少し違和感があると思いますが、現在の時事問題についても取り上げていきたいと思います。「歴史とは現在と過去の対話である」とは、英国の歴史家、E.H.カーの名言です。歴史への関心とは、畢竟、現在をどう生きるかという問題意識を離れてはありえないでしょう。

 新型コロナウイルスの蔓延で全国が緊急事態下の「自粛」状態にある中、政府は検察庁法改正案を国会に上程し、成立を急いでいます。この法案をめぐっては、与党と維新を除く野党が賛否、真正面から対立し、SNSには「#検察庁法改正に抗議します」のツイートが600万を超えるなどして、国民からも高い関心が寄せられています。

 検察官の職務は、犯罪を捜査し、公訴を提起・維持し、裁判の執行を監督することです。裁判にかけるかどうか、いわゆる起訴の適否を判断し実行するという重大な役割を担っています。そのため法律を唯一の基準として職務が遂行できるように身分は保障されています。検察庁に属する行政官でありながら、国家公務員法ではなく検察庁法で身分や定年が定められてきたのも、その職務の特殊性によるものです。現行の法によれば、検察官の定年は役職の有無にかかわらず一律に63歳です。ただ検察官トップである検事総長のみ定年は65歳となります。

 今国会に上程された改正案では、現行のシンプルな定年ルールが非常に複雑になります。検察官の定年は65歳まで延びます。これは国家公務員法の改正で公務員の定年が65歳まで延長されることに準じています。しかし役職付きの検事は原則として63歳で役職を離れ、平の検察官となります。このとき特例措置として内閣の判断で役職に就いたまま最大3年まで勤務延長できるようになります。つまり役職のある検事は63歳になると、内閣の一存により平の検察官になる人と役職のままの検事の二通りにわかれます。

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時事通信社の記事より)

 検察官キャリアの最後において、出世コースを進めるか断たれるかの判断は内閣が決めることになります。野党が問題にしているのは、まさにこの点です。検察は、法律を犯せば総理大臣も起訴できる力が与えられています。だから政治から独立して中立・公平でなくてはならない。それを担保するための制度が、検察庁法のもとで運用されてきました。確かに現在も検察官の人事は内閣が任命しています。しかし人事の実際は検察庁の内部で行われて、内閣は形式的に関与するだけです。検察官の政治からの厳格な独立性は、立法、行政、司法の三権分立を定めた日本国憲法の根本精神に基づきます。いうまでもなく三権分立は独裁者を生まないために人類が編み出した最高の知恵です。今回の改正案は検察官の人事へ内閣の介入を開くものであり、民主主義の根本原則である三権分立の一角を突き崩す可能性が大いにあります。

 一体なぜこのようなおかしな改正案になったのか。それについては納得のいく説明はまったくありません。役職定年の延長の基準すなわち「内閣が決める特定の事由」の具体的内容は法律が成立してから(実施は22年4月)検討するというから、法案としての体もなしていません。ちなみに5月13日の衆院内閣委員会の審議を報道するマスコミの記事を載せておきます。

「束ね法案」で迷答弁連発 検察定年延長、所管外に苦戦 武田担当相

 検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案をめぐり、13日の衆院内閣委員会では武田良太国家公務員制度担当相が答弁に立った。
 同改正案が、国家公務員法改正案などとの「束ね法案」として、国会に提出されたためだ。ただ、野党が問題視する検察部分は本来、武田氏の「所管外」で、不安定な答弁が目立った。
 内閣委の質疑で、野党は検察官の定年問題に的を絞った。共同会派の階猛氏は、検察庁法改正案には昨年10月段階で、検察幹部の定年を政府の判断で最大3年間、延長できる規定がなかったと指摘。1月末に黒川弘務東京高検検事長の定年延長を閣議決定したことを正当化するために「おかしな案に変えたのではないか」と追及した。
 これに対し、武田氏は「時間があったことが一番の理由だ」と説明。階氏は「『時間ができた』は理由にならない」とかみついたが、武田氏は同様の答弁を繰り返し、出席者からは失笑が漏れた。
 
武田氏は「本来なら法務省が答弁すべきことだ」と繰り返すなど、苦しい答弁に終始。手元の資料を読み上げる場面も多く、野党は森雅子法相の出席を求めた。
 
結局、定年延長を適用する基準について、武田氏が「今はありません」と答えたため、審議は紛糾。武田氏は「施行日までに明らかにしたい」と理解を求めたが、納得できない野党は途中退席した。(5/13(水) 18:58配信 時事通信社 

 検察官が法律と良心に従って職務を遂行し、地位や出世への思惑に左右されることはないと信じたいと思います。しかし絶対の権限が付与された最高ポストへの去就を前にして、その任命権者の意向を考えないと言うことは普通あり得ないでしょう。だから人事は透明性、公平性があって誰からも納得されなければなりません。任命権者の高潔さに頼るばかりではなく、これまでは制度的にもそれを可能にするように工夫されてきました。改正案は、それをわざわざ不透明にして不公平な人事を招く素地をつくるものです。

 別の委員会の審議で安倍首相は、野党議員の「内閣にとって好都合な検事が恣意的に役職延長されるのではないか」という質問に「それはまったくありません」と答弁しました。しかし、事実は恣意的な検事の定年延長が行われました。新聞記事から引用します。

 事の発端は1月31日。安倍内閣は「検察庁の業務遂行上の必要性」を理由に、東京高検検事長の黒川弘務氏(63)の定年を半年延長する閣議決定をした。検察官の定年延長は初めてで、「政権に近い黒川氏を検事総長に据えるためではないか」との疑念を招いた。
 なぜか。検察トップの検事総長の定年は検事長や検事正など他の検察官と異なり65歳。稲田伸夫・検事総長(63)は来年8月14日で65歳を迎えるが、約2年で総長が交代する慣例に沿えば、定年退職を待たずに7月が交代時期となる。
 黒川氏は今年2月8日に63歳で定年退職を迎えるため、総長就任は難しい状況だった。このため、黒川氏と同期の林真琴・名古屋高検検事長(62)が総長候補として有力視されてきた。黒川氏と同様に総長の「登竜門」とされる法務省の要職をこなしていたのに加え、誕生日は7月30日。稲田氏が慣例通りに7月まで続投しても後任に就くことができるからだ。だが、黒川氏の定年が8月7日まで延長されたことで、「黒川検事総長」の道が開けた。 黒川氏の定年延長をめぐる政府答弁は迷走した。当初、定年延長の法的根拠は国家公務員法の延長規定だと説明した。定年を63歳に定める検察庁法に延長規定がないためだ。
 
しかし、立憲民主党山尾志桜里衆院議員(その後離党)が2月、「国家公務員法の定年延長は検察官に適用しない」とする1981年政府答弁の存在を示し、矛盾を指摘。人事院の松尾恵美子給与局長も、81年の政府見解は「現在まで続けている」と答弁し、安倍内閣による国家公務員法の延長規定を使った黒川氏の定年延長は法的根拠がなく、違法である疑いが浮上した。
 批判が高まるや、安倍晋三首相は法解釈そのものを変えたと説明。松尾氏も「つい言い間違えた」と自身の答弁を撤回し、首相に追従した。その一方で政府は、解釈変更を裏付ける明確な資料を示せなかった。定年延長の違法性の疑惑が残るなか、検察庁法改正案を3月に国会へ提出した。(5/12朝日新聞 

 検察庁法の改正が法務省で検討されていた昨年10月には、3年役職延長の「特例規定」は「必要なし」とされていたことがわかっています。規定が盛り込まれたのは、1月末の黒川検事長の定年延長の前後です。なぜ突然、規定が盛り込まれたのかという質問に、先ほど引用した国会審議の答弁で、竹田国家公務員制度担当相は「時間があったことが一番の理由だ」とまったく要領の得ない説明を繰り返すだけでした。ただ改正案の「特例規定」に従えば、黒川検事長の定年延長は「合法」となるため、後付で正当化するという理由しか考えられません。そして黒川検事長の定年延長が政権に都合の良い人物を検事総長にするためという疑惑を生んだように、3年役職延長の特例規定は最初から検察の独立性、中立性を揺るがし、ひいては司法の信頼性を損なうことにつながります。

 このような法案をこの非常事態下に持ち出し、十分な審議もされず、強行に成立させようという行いには怒りしかありません。検察庁法改正案に反対します。

日本弁護士連合会「改めて検察庁法の一部改正に反対する会長声明」

「#検察庁法改正案に抗議します」をめぐって知っておいてほしいこと|山尾志桜里|

検察庁法改正案の中身がやっと理解できたよ(5月13日再更新)神保哲生