090 元興寺の中世庶民信仰資料 (元興寺③)

 元興寺(極楽坊)からは、昭和の本堂解体修理や境内の防災工事で中世の庶民信仰資料が多量に発見された。そのうち65395点が重要有形民俗文化財に指定されている。これらからは鎌倉時代から江戸時代初期までの元興寺(極楽坊)の信仰の様相が生々しく伝わってくる。総合収蔵庫にこれらの資料の一部が展示されている。

 極楽坊は納骨寺院として名高かった。智光曼荼羅を本尊とする本堂は堂内空間が極楽そのものと意識されていた。ここへ納骨することにより死者の極楽往生が確信されたのである。納骨容器は4738点遺る。木製塔婆として五輪塔、宝篋印塔、板碑、宝塔、層塔があり、土釜、竹筒、曲物も利用された。納骨五輪塔の場合は一番下段の地輪部に骨穴が穿たれて、堂内の柱や長押に釘で打ちつけられていた。

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納骨容器

 発見された資料は、死者の追善供養と生者が功徳を積む逆修を目的にしたものが多い。柿(こけら)経は木片に経文を書写したものである。本堂の天井や地中から発見され3万5千点以上におよぶ。柿経として最古のものと考えられる嘉禄元年(1225)の銘が入ったものも遺される。法華経が多く、書写したのはほとんどが僧侶だろうが、庶民の厚い願いがこもっている。

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こけら経

 千体仏は供養や逆修のために高さ10cm程度の小仏を多数造る。貴族は功徳を積むために寺院や本格的な仏像を奉納し豪華な納経を行うが、庶民はいわば質よりも量をもって少ない経費で多くの善根を積もうとした。庶民らしい多数作善の思想が背景にある。板彫千体地蔵菩薩立像(114枚)は、桧材を地蔵菩薩の形に切り抜いたものである。木像千体仏像(886体)は立体で地蔵菩薩が多いが、阿弥陀如来薬師如来聖観音、十一面観音、十王像などもある。

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板彫千体地蔵菩薩立像

 木製小型五輪塔も多数作善思想から生まれた。板状五輪塔、立体五輪塔、板状宝塔があり、大きさは1.1cmから14.3cmにおよぶ。五大種子、経文、仏・菩薩の種子・名号を書くものがある。2万数十点遺り、数十をひとまとめにして奉納されたと考えられる。

 印仏は、仏や菩薩の像を版木に刻して印章のように押印したものをいう。これも故人の追善供養のため毎日押印(日課印仏)したと思われる。95点が遺る。

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彩色印仏

 位牌、卒塔婆、写経、過去帳なども伝わっている。

 陰陽師(おんみょうじ)が関わった遺物もある。物忌札(ものいみふだ)は、穢れを祓ったり不吉な出来事を避けるために製作された。元興寺に遺る物忌札は葬礼に際して作られ、中陰明けに位牌や納骨器とともに寺に納められたと思われる。元興寺近くには陰陽(いんよう)町があり、ここに住んだ陰陽師が作成に関わったのだろうか。

 夫婦和合・離別祭文は興味深い。康暦3年(1381)に写筆されたもので、和合祭文は、妻を捨ててほかの女に心を寄せる夫を再び自分のもとに取り戻そうとする妻の願文である。離別祭文は、悪夫の虐待に堪えかねて離別を望む妻の願いが述べられる。それぞれの祈祷の方法も書かれていて、依頼者の願いに応じてこれらの祭文が読み上げられたのだろうか。

 元興寺境内には整然と並べられた多量の石塔があり目を惹く。いわゆる墓石、石造供養塔である。室町時代から江戸時代初期のもので、元興寺興福寺大乗院の菩提寺墓所でもあり、僧侶や裕福な庶民のお墓がつくられた。それらは整理されて禅室の北西部石舞台に積み上げられていたが、昭和63年(1988)に現在の形に並べられ、浮図田(ふとでん)と呼ばれる。浮図とは仏陀のことであり、仏塔が稲田のごとく並ぶ場所という意味である。

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浮図田

 石塔にはさまざまな形態があり、多いのが五輪塔である。五輪塔密教の教義をもとに造りだされた塔で、地・水・火・風・空という宇宙を構成する五大要素を体現し、大日如来阿弥陀如来を表すという。五輪塔の形を舟形の碑に浮彫や線刻した舟形五輪塔板碑は戦国時代から江戸時代にかけて多く造られた。ほかにも宝篋印塔、箱形の枠内に阿弥陀や地蔵を浮彫にした地蔵石龕仏、自然石に文字を刻んだ自然石板碑などさまざまな種類がある。現在の墓地で見かける方柱状の墓石は江戸時代から始まったが、浮図田にないのは、元興寺が徳川家のために祈祷を行う御朱印寺に指定されたことで庶民の墓が作られなくなったからである。

参考 岩城隆利『元興寺の歴史』吉川弘文館 野口武彦・辻村泰範『古寺巡礼奈良 元興寺淡交社 太田博太郎他『大和古寺大観3巻』岩波書店 元興寺編『わかる!元興寺』ナカニシヤ出版 元興寺ホームページ