105 東の野に立つのは、“けぶり”か?“かぎろひ”か?

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かぎろひの丘万葉公園(奈良県宇陀市

   東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 巻1-48

 柿本人麻呂が、軽皇子の遊猟に従駕して詠んだ歌の一つとして有名な歌である。夜明けの太陽が現れる直前、光が射し、振り返れば、月は西空に傾いている。雄大で鮮やかなイメージが浮かんできて一読忘れられない歌となる。

 題詞には「阿騎野」という地名が記される。奈良県宇陀市大宇陀町に古代の狩場があったらしく、阿紀神社のある周辺が「かぎろひの丘万葉公園」として整備されている。ここでは毎年12月頃(旧暦11月17日)に「かぎろひを見る会」が催されて、今年で48回目となる。早朝、たき火を囲みながら日の出を待つ。かぎろひが見えるかどうかは、その日のお天気次第だという。筆者は参加したことはないが、現地でこの歌の風景を見たいという気持ちはよくわかる。万葉集にはロマンをかき立てる歌は多いが、これは最たるものだろう。

 ところがである。このロマンが揺らいでいる。2013年、岩波文庫で出た『万葉集(一)』の中で、48番歌の訓み下しが次のようになった。

   東の野らにけぶりの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ

 なんと、「かぎろひ」が「けぶり(煙)」に訓み替えられた。一体どういうことなのだろう。岩波文庫には詳細な解説があるので、それを見ていこう。

 まず原文はこうである。

   東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡

 問題の箇所は「炎」である。これを「かぎろひ」と訓んだのは、賀茂真淵であった。それまでは、「けぶり」と訓まれていた。

   あずま野のけぶりの立てる所見てかえり見すれば月かたぶきぬ

 「けぶり」と訓むのは、巻3-366の「海未通女 塩焼炎」を「海人娘子 塩焼く煙(あまおとめ しおやくけぶり)」とする例がある。「かぎろひ」と訓むのも、巻6-1047の「炎乃 春尓之有者」を「かぎろひの春にしなれば」という例がある。

 「かぎろひ」は万葉集の他の用例からも判断して「陽炎(かげろう)」の意味である。真淵は、これを「ほのかな光」という意味に解釈した。というのも。この歌が詠まれたのは、長歌に「み雪降る」とあって冬であり、しかも夜明け前なので、陽炎が出現するとは思えないからである。しかし、この意味の変更は根拠に欠けるという。

 「かぎろひ」に続く動詞は、他はどれも「燃ゆる」である。したがって、「かぎろひ」と訓んで「立つ」と続けることは疑問がある。

 このような理由から、岩波文庫の校注者たちは、「炎」を真淵以前の訓み方「けぶり」に戻した。そして、この「けぶり」は、これから狩りをするため野に放った火の煙であるとする。

   安騎の野に宿る旅人うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに 巻1-46
   ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し 巻1-47
   東の野らにけぶりの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 巻1-48
   日並の皇子の命の馬並めてみ狩り立たしし時は来向ふ 巻1-49

  四首並べて鑑賞すると、四首がそれぞれ起承転結の役割をおびて、三首目がこれから狩りに立とうとするきっかけを与えるにふさわしい内容、すなわち転換の歌であると思える。これが「かぎろひ」ではやや間延びする。しかし、一首として鑑賞するなら、その差は歴然としている。真淵の訓みと解釈は、この歌が万葉集を代表する歌へと押し出したのである。

  参考文献
 佐竹昭広他校注『万葉集(一)』岩波文庫
 小川靖彦著『万葉集と日本人』角川書店