087 平城宮東院の巨大井戸(2017年12月23日の現地説明会)

  平城宮東院は平城宮の東に張り出した地区で、その南半部の東西約250m、南北約350mの範囲を指す。皇太子の住居である東宮天皇の宮殿があったことが、奈良時代の正史『続日本紀』に記される。また称徳天皇の「東院玉殿」や光仁天皇の「楊梅宮」は、ここにあったと考えられている。

 東院ではこれまで南辺と西辺の発掘調査が進んでいる。12月23日に現地説明会が開かれた第593次調査は、西辺の既調査の北側に調査区が設けられた。出土した主な遺構は奈良時代前期の大型掘っ立て柱建物と後期の巨大井戸とその付属施設である。

 大型建物は東西9間以上(約26.5m)×南北3間(約9m)の南庇付き東西棟建物で、調査区の東に続く。身舎(もや)の柱穴に床を支える添柱の痕跡があり、床張りの格式の高い建物であったと想定される。南隣の第584次の調査区から検出された南北10間×東西2間の南北棟建物とは同時期であり、柱筋も揃うことから一体の空間を構成していたようだ。

 巨大井戸は、東西約9.5m×南北約9mの方形の範囲を深さ約30cm掘り込み、その中央に東西約4m×南北約4mの方形の井戸枠堀方を設ける。井戸枠の周囲には拳大の小礫が多量に分布する部分があった。四周に幅約0.5mの石組み溝を巡らせる。井戸が廃絶するとき、井戸枠や石組みも抜き取られ整地された。

 井戸西辺中央付近から溝が直線的に西へ伸びる(東西溝1)。幅約1.2m、深さ0.2~0.5m、長さ約8mで、井戸から西へ約4.6mの範囲に側石と底石で護岸していた。

 この溝はさらに西へ直線的に伸びる(東西溝2)。幅0.8~1m、深さ0.5~0.6mの素掘りの溝で調査区の西方へ続く。 

 東西溝2は途中で北へ分岐し、北へ約5mの地点で直角に屈曲して西へ直線的に伸び、調査区の外へ続く(L字溝)。幅0.8~1m、深さ0.5~0.8mの素掘りである。

 東西溝2とL字溝は一時に埋まり、多量の瓦や土器が出土した。

 この2つの溝を覆うような形で掘っ立て柱建物が検出された。東西6間以上×南北3間の南庇付き東西棟建物で、調査区の西方へ続く。

 平城宮の大型井戸は内裏や造酒司、東院で見つかっているが、今回検出した井戸は宮内最大級の規模である。溝は井戸水を計画的に配水するために設けられたと考えられ、溝を引き込む覆い屋は厨の可能性が高い。溝から出土した杯や皿などの食器類、土師器甕・カマド、須恵器盤・甕などの調理具や貯蔵具などから、それが裏づけられる。

 朝廷では貴族や役人が集う重要な行事には宴会がつきものであった。それには天皇も出御し紐帯を確かめ深めたのである。東院で開かれた宴会の食膳をまかなう施設がここにあったのか。井戸水を汲んだり食器や食材を洗う人の姿が浮かんできそうである。

 東西溝2とL字溝が平行して建物内に引かれていた。どのように使い分けられていたのか想像するのも楽しい。庇の下にある東西溝に対し身舎内のL字溝は深くて幅も広い。L字溝から浄水を汲んで使用し、汚水は東西溝2に捨てていたのだろうか。

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現地説明会資料より

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現地説明会資料より

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奈良時代前半の大型建物跡、東西柱穴筋が青いテープで示される、東から撮影。

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奈良時代後半の巨大井戸跡、中央の窪みが井戸枠堀方、南東から撮影。