文学

120 八一の唐招提寺の歌と子規の法隆寺の句

唐招提寺金堂(写真は、「山/蝶/寺社めぐり」から転載) 会津八一の唐招提寺金堂を読んだ歌は、『南京新唱』の中でもよく知られて人気がある。 唐招提寺にて おほてらのまろきはしらのつきかげをつちにふみつつものをこそおもへ 吉野秀雄は『鹿鳴集歌解』…

115 「いやしけ吉事」――それからの大伴家持

陸奥国多賀城跡 家持終焉の地 『万葉集』は、大伴家持の次の歌をもって最後を締めくくる。 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 ⑳4516 (大意)新しい年が始まる初春のおめでたい今日、さらにめでたくも雪が降っている。たくさんの良きことがあ…

106 有馬皇子自傷歌の作者は誰か

有馬皇子自傷歌は自作か他人の作か? 万葉集の挽歌の部立で最初に来る歌は、有馬皇子の自傷歌である。謀反を企てた罪で、紀伊の牟婁(むろ)の湯(白浜温泉)に滞在していた斉明天皇と中大兄皇子のもとに護送される。その途中の岩代で詠まれた歌だ。 有馬皇…

105 東の野に立つのは、“けぶり”か?“かぎろひ”か?

かぎろひの丘万葉公園(奈良県宇陀市) 東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 巻1-48 柿本人麻呂が、軽皇子の遊猟に従駕して詠んだ歌の一つとして有名な歌である。夜明けの太陽が現れる直前、光が射し、振り返れば、月は西空…

104 万葉挽歌の大和――堀辰雄著『大和路・信濃路』

堀辰雄が月刊誌『婦人公論』に「大和路・信濃路」を連載したのは1943(昭和18)年であった。戦後、新潮文庫と角川文庫に『大和路・信濃路』のタイトルで他の文章も加えて刊行された。両者は編集が異なり収載された文章や配置に異同がある。大和路を直接…

103 大和を舞台にした求道の書――亀井勝一郎著『大和古寺風物誌』

私がはじめて新潮文庫版『大和古寺風物誌』を読んだのはかれこれ半世紀ほど前である。著者は1966年に亡くなっていたが、有名であったし、この本が人気のあることはなんとなく知っていた。タイトルが牧歌的であるのにもひかれた。しかし甘美な詩情あふれ…

102 仏像鑑賞の近代的幕開け――和辻哲郎著『古寺巡礼』

和辻哲郎の『古寺巡礼』が刊行されたのは、1919(大正8)年であった。刊行100年を迎える書物は仏像鑑賞の古典として今も書店に並ぶ。 著者の和辻哲郎(1889~1960)は兵庫県生まれ、倫理学者、夏目漱石門下で東洋大・京大・東大教授を務めた…

101 風雅と酔い泣きの歌人・大伴旅人

――「長屋王の変」から読み解く旅人の世界ーー 大伴旅人は665年に生まれた。父は佐保大納言と呼ばれる安万侶、母は近江朝の大納言巨勢比等の娘、巨勢郎女(ごせいらつね)。和銅3年(710)正月の元明天皇の朝賀に際して、左将軍として騎兵・隼人・蝦夷…

096 奈良から始まった作家・森敦の放浪

作家、森敦(1912-1989)が亡くなって今年で30年になる。『月山』で第70回芥川賞を受賞したのが昭和49年(1974)、敦が62歳の時である。それ以後、精力的な執筆活動のほかにテレビやラジオへの出演、対談や講演などにも活躍し、時代の…