宮都

108 棚田嘉十郎はなぜ宮跡保存の功労者になれたのか(後編)

~明治・大正期の平城宮跡保存運動の深層~ 第3章 「奈良大極殿址保存会」 1911年(明治44)~1922年(大正12) 奠都祭の翌年に棚田は上京して司法大臣、岡部長職子爵と面会します。「宮跡の保存策が示されなければ奈良へ帰らない」と強く迫ります。岡部子…

107 棚田嘉十郎はなぜ宮跡保存の功労者になれたのか。(前編)

~明治・大正期平城宮跡保存運動の深層~ 平城宮跡朱雀門前の棚田嘉十郎像 序章 「文化財保存」の先覚者 平城宮跡は、1300年前の奈良時代の宮の姿が地下に眠っています。国の特別史跡になり世界遺産にもなっています。宮の正門である朱雀門の前には棚田嘉…

087 平城宮東院の巨大井戸

平城宮東院は平城宮の東に張り出した地区で、その南半部の東西約250m、南北約350mの範囲を指す。皇太子の住居である東宮や天皇の宮殿があったことが、奈良時代の正史『続日本紀』に記される。また称徳天皇の「東院玉殿」や光仁天皇の「楊梅宮」は、こ…

086 第1次平城宮に似た恭仁宮の中枢部

木津川市加茂町瓶原の地にあった恭仁宮は、昭和48年(1973)から毎年、発掘調査が実施され、その姿が少しずつ明らかになっている。今年の調査では、大極殿院と朝堂院の境界を確定する手がかりが得られた。12月9日にあった現地説明会の報告である。 …

085 平城宮跡の銀杏

昭和20年代の平城宮跡、道は一条通り、西側方向に撮影、行く手の木立は銀杏、遠景に生駒山、『岩波写真文庫 奈良』より 広大な平城宮跡は自然に恵まれて春夏秋冬、植物や鳥たちの生態を楽しむことができる。晩秋のススキ、冬の山茶花、春の梅、桜などはその…

084 初期ヤマト政権の宮都、纒向遺跡

纒向遺跡は大和の甘南備、三輪山の麓に東西約2km、南北約1.5kmの範囲に広がる。3世紀の初頭、それまでまったく集落のなかった場所に出現し4世紀前半まで存続した大型集落である。同時代の他の集落とは異なる特徴と大きな規模を持ち、都市ととらえる見…